14:エンスージアスト初心者誕生(2)(1997/11/16)

 当時、通算2台目のクルマだったブルーバードセダンは8年落ち、知人から車検代のみで譲って貰ったという年季の入ったクルマでした。しかも(当時のクルマはどれもそうですが)いわゆる51年規制というやっかいな基準をクリアするために、設計上、かなりの無理を強いられていたものでした。SOHCでキャブは勿論シングル、大きく重い触媒と、エキパイからも戻してるのではないかと疑いたくなるような複雑怪奇なとり回しのブローバイ装置に阻まれて、おそらく50馬力も出てないのではないかという様な、鈍重なエンジンを積んでいました。

 それでも、僕はこのブルーバードが大変気に入っていました。というのも、最廉価版のセダンでありながらシャシや足回りのバランスが、今考えてみても大変に良くできていて、80km/hまでならそこそこ足が速いクルマだったのです。このことは、純正で付いていたタイヤをはずし、サスも替えずに195の偏平に替えても全くサスが負けていなかったという事からも明らかでした。ただ、もしエンジンがあと20馬力あったら、とてもじゃないけど怖くて乗れなかったに違いありません。屋台がその他の部品について行ってないのです。考えたのは勿論、サス回りとボディの強化、そしてエンジンのライトチューンでした。が、画策すればするほど、どこまで行っても、オイルショック仕様の省エネSOHCエンジンからは抜けられない悲しさと、トルクをかければかけるほどネジれてゆくリアサスに、ほとほと基本設計の限界を感じ、気が付くと途中でイヤになっていました。そしてある日、峠の少しキツいコーナーで前サスを捻挫させてしまったのを機に手放してしまったのです。

 それで、閃いた訳です。

 基本設計の優れたアルファは、程度がどんなにボロくても、どんなグレードでも、ちゃんと直せば、あるいは少し手を加えればとてつもない可能性があるから、みんな直しながら乗り続けるんじゃないか?しかもそこには単なる性能を超えたスピリットがある。エンジン、レースでの輝かしい成績、芸術的ボディ、それぞれのモデルにそれぞれの物語、だからGIULIETTAでもGIULIAでも、等しくオーナーを熱くさせ続けられるんじゃないか、だからどんなタマでもみんな喜々として買っちゃうんじゃないか?(「喜々として」というのは僕の当時の誤解です)そう思ったのです。当時僕が手にしていたのがアルファのボロだったら、その辺の峠ごとき理由で手放したりしただろうか?と。「直さなきゃ、手を入れなきゃ」じゃなくて、「直したい、手を入れたい」そうやって速くなって行くのがアルファなんじゃないか?そんな気がしてしょうがなくなりました。

 与えられた完成品を漫然と運転して「ああそうか」で済むのならベンツに乗った方がマシ。その対極はイギリスのライトウェイトスポーツです。運転する事も大事ですが、それよりも維持や再生、強化をしてゆく事が同等かそれ以上の価値を持ちます。それも素敵です。しかしアルファはそのどちらでもない。いや、どちらも味わえる。新しいモノも古いモノも、エンスージアズムを維持できるスピリット満載が故に、すべからく手をかける事ができ、なおかつ実用車でもあり、アベニューカーにもなり、コーナーリングマシンにも成りうる。

「こんな万能で合理的なクルマはあるだろうか!」

 その夜、僕は自分がアルファを買おうとしていることに、初めて興奮を覚えなかなか眠れないのでした。

それがラテン地獄の一丁目とはつゆ知らず。



15に続く