23 尺貫法と自動車(2001/10/11)

日本車が小さいのは道路や土地が狭いからだと言われます。そしてそれは道幅の決め方が尺貫法に基づいているからだという説があります。

でもどうでしょう、日本のクルマのサイズや道路の幅も昭和34年以降、尺貫法とは全く関係ありません。

日本車の肥大化はむしろアメリカのペースのそれを上回っています。特に普通 乗用車はここ20年で、4ノッチぐらい車両サイズのカテゴリーがデカくなってます。

例えば平均的な大衆車の1970年当時の車幅はせいぜい150cm。今は170cm〜175cm。実に20cmの差。その当時の5ナンバーフルサイズカーに匹敵するか、それをしのいでいます。50mmで勝負する世界と言われる自動車において、20cmってのはとてつもなく凄い差なのです。じゃあその分道が広くなってるか?というと、地方や輸送道路では広くなっているところが増えていますが、都市部や近郊では逆に狭くなってるところが目立ちます。以前は1車線で走行していた道が、同じ道路幅で今は2車線や3車線になっていたりします。

ざっと調べた限りでは、日本の自動車の法規上限である車幅2.5mのクルマが余裕を持って通 行できるように、通常は1車線あたり最低でも3mはとるのが普通のようです。ところが都市部ではこの車幅をとれずに、1車線あたり2.5mは当たり前、ヒドイところになると大型車通 行可の幹線道路にも関わらず、それすら切るような場所が至る所に存在します。仮に地方で道幅が広くなっても、その処理能力を上回るペースでクルマが増え、そして都市部では道幅が狭くなっているにも関わらず、流れの速度はどんどん上がり、日本車も肥大化を続けるという、矛盾した現実があります。

ところで元来、尺貫法(ここでは曲尺)の原理にはいろんな長所やメリットがあります。

仕事上でも、設計図面上などで操作性の問題に突き当たって悩んだときなんかに、頭の中を尺と寸に切り替えると、すんなり解決する事がけっこうあります。

ヘタに人間工学なんか持ち出すよりも、よっぽどマシな答えが得られることもしばしば。

例えば、人間が何か小物を手にとって見るという行為をするときにとる姿勢では、目から手に取った対象物までの最適距離は、1mでも50cmでもなく、30cm強となる事が多くあります。

これを尺貫法で測ると、それぞれの体型によってちょうど1尺を中心に「寸」(1寸=3.03cm)刻みで前後すれば、ピタリとはまったりするのです(決して「cm」刻みではない)。

同じ事をヤードポンド法(インチとフィート)でやっても似たような事が起きます。寸もインチも元々人間の身体の標準サイズを元に決められているからなのです。

指を目の前に出して、自分の全ての指のそれぞれの関節の長さを測ってみよう。必ず長さが1寸(3cm)前後か、1インチ(2.5cm)前後の関節があるはず。逆に1cmの長さの部分はどこにもない。ちなみに1フィートは10インチではなくて12インチ。

尺貫法もヤードポンド法も万人向けのための最大公倍数として使う時にはかなり優れているという訳です。

イギリスやアメリカでは、いまだにヤードポンド法を捨てる気配はないようです。日本では1959年に尺貫法を正式に捨て、メートル法を採用しました。

尺貫法の時代に作られた家屋や、尺貫法でモノを考える癖の棟梁が建てた家は、小さい家屋でもゆったりとした空間や動線を保持しています。逆に近代建築家がメートル法で描いた設計図面 では、部材は尺貫法サイズなのにも関わらず、どういうわけかせせこましく貧相な家が多くなりがちです。さらに困ったことに、天井の高さや戸口の大きさの基準が、現在の日本では非常におかしな事になっています。「cm」や「mm」には、人間工学的な根拠が全くないので、時代が進んで我々の平均身長が伸び、サイズが足りないと思っても、一体何mm増やせば済むのかまったく分からない状況に陥ってしまい、予算の都合がつく物件は、余裕を持たせるという名目でやたらと度はずれたサイズの戸口や天井になってしまい、それによって家の実用性や美観を損ね、予算に都合が付かない物件は有効高190cmという摩訶不思議なサイズの既成ドアや、240cmというこれまた心理的にも部材的にもどうしようもないサイズの天井高が広く使われていたりします。これは尺貫法に基づいて作ったらそうなったのではありません。尺貫法時代のものを無理矢理メートル法に直してモノを作ろうとしたり、基準を決めたからそうなってしまった結果 とも言えるかもしれません。

メートル法では、めいめいが勝手に人間工学の研究をやり直さなければならないため、快適なサイズではなく、生産効率などでサイズが決まってしまいます。

そのためいまだに「これが快適である」という定説ができず、尺貫法の時代よりも混迷している様な状態です。

これを「尺」や「寸」単位で延長してゆくと、実にしっくり来るサイズに変化します。

もちろん、今でも尺が使われていない訳ではありません。屋根の勾配など尺と寸の割合で表したりもします。けれども、僕は日本の住宅が粗末になっていった時期と尺貫法が廃止された時期が重なっているのは決して偶然ではないような気がしてなりません。

国際的に考えれば、日本のメートル法は自然の成り行きに見えるかもしれません。

けれどもそれが即、日本の国際化の促進に貢献しているとは限らないのです。

ここが尺度の複雑なところで、日本が尺貫法を正式に捨てざるを得なかったのは、別 にそれが国際的でなかったからではありません。

その証拠に、日本は戦前、メートル法と尺貫法を分野に応じて使い分けていたのですから。

メートル法は科学には向いていますが、人間が接するモノの尺度にはまるっきり向いていません。



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