「AlfaRomeoは、新しいのがいい」新しいAlfaで、そう感じた。数年のインターバルを経て、再び小さなAlfa(147)を、日々の足にする生活が続いている。それは、ワクワクする日常でもある。
実は、この147に出会う前は、僕にとってのAlfaは、かつてのような「ワクワク」する存在ではなくなっていた。
正直、飽きていたと言ってもいい。ちょっと古めのAlfa2台を乗り継ぎ、美味しいところもニガいところもしょっぱいところも十分に味わい尽くしたつもりになっていたし、クルマとして足りないものも随分と思い知らされたようなところもあった。
いや、それどころかむしろ「もうクルマは当分いい」とさえ思っていた。仕事の移動で使っていたクルマを捨て、電車移動に100%シフトする生活を2年ほど続けた。意外に快適な日々だった。何せ、あの忌まわしい渋滞に会わずにすむ。出先で駐車場の確保の手間が要らない、ちょっとの移動ならタクシーも併用できる。そして何よりいつでも飲める。。。クルマを使わない開放感、クルマでないほうが味わえるものは、多い。
しばらくは、
自分でステアリングを握って目的地に移動するという行為すら、もうどうでもいいような気になっていた。
しかし一方、クルマには電車にはないメリットもたくさんある。時間の自由、一人の時間。僕のような仕事では、創造力を沸き立たせるために、例えばクルマのステアリングを握ることで得られる、一種の瞑想状態が存在することも知っていた。もちろんそれは、どんなクルマにでも当てはまる訳ではない。また、だれにでも当てはまる物でもない。ある特定の脳味噌の使い方をする時に、どんなに快適な電車や飛行機の座席でも得る事の出来ない、特殊な環境を、性にあったクルマだけが提供してくれる。
そんな訳で、Alfa147での移動は今、僕にとってはグリーン車か、それ以上に快適で、貴重な時間となっている。この機会を得られた事に、深く感謝している。
相変わらず、乗り手を選ぶクルマ
Alfa147セレスピードは、歴代アルファの例に違わず、相変わらず乗り手を選ぶクルマだ。特に初期型は、シティモード(ATのように自動変速してくれるモード)で走っても、やたらとぎくしゃくした加減速になってしまう。相当丁寧な運転をしたつもりでも、助手席に座っている人の頭が前後に振られるのを完全には防げない。
GTなどにくっついている最新のセレスピードはとてもスムーズで、まるでF1レーサーにコーチしてもらっているような気分になるのだが、147の初期型のそれは、シフトレバーの下に、くわえ煙草のイタリアオヤジ(不良)がいて、片手にコーヒーを持ちながら、片手で気まぐれにシフトチェンジを、ドライバーの代りに「仕方がなさそうに」やっているという雰囲気で、どうもシフトチェンジ自体が、不良イタリアオヤジのペースなのだ。それでついつい、街中でもマニュアルモードで走ってしまう事になる。
AlfaRomeoというクルマは、直線よりもコーナリングが面白いクルマだ。どんなに直線を早く走っても、アルファにとっては意味がない。コーナーを駆け抜ける時の喜びが、アルファに乗る喜びとさえ言える。147のコーナリングの面白さも、改めて書くまでもない。Alfaとは、直線を200km/hオーバーで走り、コーナーを80km/hで走るクルマではない。どんな道も100km/hで走るためのクルマだ。もちろん速いのは前者だ。つまり、Alfaの速さには意味がない。ただ、楽しい。それだけだ。
元々、近代の小排気量アルファロメオは、レースやマニアのためのクルマではなく、公道をよりスムースに速く走るために進化している。ライン取りも、サーキットよろしくアウインアウトなどと格好つけず、思い切り、前のめりに曲がるのがいい。前のめりになったつもりでも、外側前後輪が、同じ位しっかりと沈み込んで、素早く、きれいにコーナーを駆け抜けてくれる。FFになってから相当にサスペンションが固くなったとは言え、それでも十分に深いストロークの深いサスペンションと、外側2輪に均等に荷重がかかることで、ヨーモーメントをそのままコーナーを駆け抜けるためのふんばりの力に変換してくれる。だからアクセルを踏めば踏むほど、内側に切れ込む様に曲がってくれる。FRに乗っているような感覚に近いが、FRアルファよりもずっと安定していて、安全で、かつ面白い。
(2007/01/24)