12:走っている姿 (1997/11/15)

 75が最終的に候補から外れてしまったのは、実は信頼できそうなショップに(僕の調査不足のせいで)出会えなかったという理由の他に「赤がなかった」という単純な理由もあります。それまで僕は銀か黒、つまり無彩色のクルマしか持った事がありませんでした。だからせっかく「イタ車」に乗る訳だから彩度の強い、できれば赤いクルマに乗ろうと思っていた訳です。正確に言えば、赤い75は1台だけ見つけたのですが、それは既に売約済み、整備待ちのものでした。

 ところで75は今でも首都高などで見かけるたびに、その走っているスタイリングにほれぼれします。今でこそ75のデザインに関する評価は高いですが、どちらかというと155のより分かりやすいスタイリングと比べての相対的なニュアンスや、メカニズムから来る話に終始しているように思います。が、僕の知っているアルフィスタやデザイン系の人の間では、その評価はNUOVA GIULIETTA以降のウェッジスタイルがデビューして以来完全に二分しており、その理由もかなり的を得ていると感じる事があります。そのうち75を評価していた人に共通する感想は、走行中の姿とビルディングや石畳の風景に駐車しているたたずまいに関するものでした。これには僕も賛成です。

 イタ車...というか、欧車に多く共通するスタイリングには、写真映りや停止時のアイソメトリックな角度から見た姿よりも、スピードを出して「走り去って行く」姿にほれぼれすることが多いです。カタログ写真を見て「ナンジャコリャ」と思いつつ、誰かが乗っているを見ると「カッコイイ!」と思わず叫んでしまった経験はありませんか?逆に国産車の多くは、走っている時よりもたたずんでいる時の方が(風景にもよりますが)美しいと思う場合が殆どです。クラウン(最近のはどうも『何か』に似ていてクラウンらしさが欠けてきていますが)か何かがお寺や城下町の古い町並の中で「オーナー待ち」をしている姿は、ちょっとベンツやシトロエンでは醸し出せない奥ゆかしさを感じさせることもあります。この事は、どちらがいいか悪いかではなく、その国の文化に浴して生まれたセンスだと思います。もちろん国産車にも「走っている姿がいい」クルマや「ヨーロッパの町並に似会う」クルマがあってもいいと思いますが。

 いずれにしても、75はそういう部分がとても強烈で、すぐには理解できないという意味ではイタ車にしては珍しく「分かりづらい」デザインのクルマだと思います。個人的には、造形的に明らかに破綻している様に思う部分もなきにしもあらずですが、それが自分の審美眼が低いせいなのか、アルファのデザイナーが失敗したのか、よく分からないと思わせるところで既に孤高のセンスが光る、良くも悪くも「飽きない」スタイリングだと思います。

 それにしても、それほど好きならば、色と値段の事に目をつぶれば、4気筒だしサビの心配もいらないしそんなに苦労することなく手に入ったはずの75、なのに「下さい」と言わなかった裏には、ある発見があったのでした。(おおげさ)



13に続く