破綻してからの素性の重要性
 限界速度域の重要さは、別に実車に限った事ではない。CGを使ったゲームソフトに、実車のクセを忠実にシミュレーションしたドライビングゲームがある。ステアリングのキックバックやコーナリング特性の違いまで考えているものもある。最終的には横Gやピッチング、側面視界も考慮に入るだろう。ゲームデザイナーも今後のシミュレーションの進化の鍵はそこにあると考え、確かによく研究していると思う。しかし、いくら実車に近いプログラミングをしても、それだけでは「面白いゲーム」にはならない。そもそも作りものが本物にどれだけ近づいたか云々するのは競技者でもない限りはナンセンスだ。クルマを知っている人間にとってはそういうリアルさは退屈でしかない。それよりも、たとえそれが実車の特性に遠いとしても、グリップが破綻してからの「限界速度域」の幅が大きいものほど、非常なリアルさを伴ってゲームに吸い込まれる。それがコントロールのリアリズムだ。
 映画でも文学でもそうだが、リアリズムとは決して忠実な描写とは同義ではない。リアルさを表現する「意味」と、そのリアルの「どこを強調するか」の視点や切り口が、作品を鑑賞する最大の動機になる。



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