ぐうたら犬と暮らそう

「ペット可」考

ネリが来てから、久しぶりに旅行のしんどさを思い出してます。犬がいると旅行もさぞ楽しかろうと思う人もいるかもしれませんが、逆です。不自由この上なし。特に夏。例えばこんな風。

  • 夏の昼間は外を歩けない。犬が熱中症やパッドをヤケドしちゃうから
  • レストランやホテルに連れ込めない。(カフェには結構OKなとこが多い)
  • 買い物する時などは駐車場の環境を吟味する必要あり
  • 乗り物は基本的に自家用車のみ。電車やバスはダメ。新幹線に乗れないのは特に痛い。飛行機には乗れてもタクシーはダメな事が多いので、その後どーする?みたいな感じ。
  • 海外旅行がダメ。完全に、ペットホテルに預けるとかしかない。

 特にホテル・レストランの類は制約されます。それでも最近はだいぶ緩くはなってきました。普通 のシティホテルとかはまず泊まれません。それじゃ、アウトドアならいいか?…と思いきや、私設のキャンプサイトなんかだと「犬禁止」ってのもまだ案外多い。まあ施設管理されている場所ならしょうがないや。。。という気もしまう。
 リゾートホテルの場合、ここ数年で事情が変わってきています。中にはペット同伴専用の部屋や、ケージで預かってくれるようなところもちらほら出てきました。ただ、やっぱり基本的には、別 荘を買うか借りるか、犬OKのペンションorプチホテルというのがノーマルな選択肢になっているようです。

 「ペットと泊まれるペンション」も増えました。10年前には考えられない、夢のような状況です。日々情報を集めてはナルホドと感心してみたり。
  でも、いざ予約する段になるとやはりまだ躊躇してしまう。それは、犬中心に全てが動いている気がするからです。犬OKのペンションというのは、やはり元々犬が好きな人でないとできない部分があると思います。そうすると、どうせなら趣味に走っちゃえ!的な部分もあったりで、ディープな世界になってたりする。そういう人でないとできないのという事情もあります。だから犬に優しい作りを意識してたりすると、めいっぱい「ワンちゃん中心」だったりする。それが嬉しい人にとっては最高の環境だと思います。ところが残念なことに、僕はそういう方向で犬を見てなかったりするのです。むしろ、犬はいて当たり前なんであって、主役でもなんでもない、ただ足下にいる。それだけが実現できればあとは何も要らない。だから「ワンワンパーティ」にも出るつもりもない僕にとっては、やはりペットと泊まれ。。。なくてもしょうがないのかな?と思ってしまう。それでキャンピングカーに乗ってたりもするのですが。

 でも、一方ではそういうペンションにもメリットがあると思います。好きだからこそ詳しいオーナーなら、仮に何か問題やトラブルが起きても、解決も早いかも知れないですね。逆に犬を知らない未消化オーナーだったりすると、大変だろうなと思います。さらに、無知なペンションやホテル(あるいはマンション)のオーナーの好意と弱みにつけこむダメ飼い主達もいないとも言えない。やはり犬が好きで、犬に詳しい人が啓蒙してくれるという意味もあるのではないかと思っています。

 残念なことに「ペット可」と言われると、すぐに助長してしまうのがWith Petな人間の自然な習性。どういう風になるかっていうと、自分の犬や猫に、他人には理解できない人権(犬権)を主張し始めるのです。

 日本みたいに犬と暮らすためのモラルや文化があまり育ってない(というより、正確に言えば犬を取り巻く旧モラルが壊れて大変革が起きつつあって大混乱中) ところでは、10人いれば10通りの「犬のモラル」がある。ちょうどタイミング悪いことに、人間社会の「マナー」とか「折り合い」ってのも壊れてる場合がある。

 最近は、「トイレのしつけ」とかその辺は段々共有できる意識が出てきたけど、他の事じゃトラブルだらけで大変。だからなおさら犬と外に出るときは気を使います。

 以前住んでいたマンションも「ペット可」でしたが、とあるダックス多頭飼いの部屋では、犬達が一日中吠えっぱなし。まあ安普請なせいもありますが、3頭がいっせいに吠え始めると、階下、階上を問わず全館に響き渡っていました。文字通 り一日中。

 んで、あまりにひどかったある日「少し静かにさせてくれませんか」と頼みに行きました。そしたら「はあっ?ここは犬飼っていいマンションなんだよね」と、逆にすごまれる始末。
 
僕のほうが「はあ?」って感じなんですが、たぶん、その人の中では「吠える」というのは犬の権利の一種になってるようで。よく本人達も平気だよなあって感心しますが。実は大家さんが最上階に住んでるんだけど、大家さんのシーズーも割と警戒で吠えることがある。でも、大家さんの方が縮こまっちゃってて、店子の無駄 吠えそっちのけで、申し訳なさそうにしてる。なんか違うなあと。

 犬の権利ってのを通そうとすれば、他人への迷惑はある程度侵害しても仕方がないという、そういう論理が、今の日本の「ペット可」のフレーズには込められてる。他人に迷惑かけてまで、犬の権利だと思いこんでて、実は犬の社会的疎外に加担してる事にきづいてない事が多いのです。

 僕ならもしホテルやペンションに泊まってても、犬が一晩中吠えるのを聞かされるのは勘弁です。レストランで他の犬にマウンティングする犬を見るのは断固お断りです。今はホテルや旅館に「日本のスタンダードな犬」はいて欲しくない。嫌犬権を主張したいぐらい。

 だから、ついつい自分がこれだけ不自由してもなお「日本のホテルや旅館はペット可とか言わなくて結構!」と思っています。

 ただ、特権はあってもいいなとも思います。「この犬なら」とか「こういう資格を持っているなら」「こんなしつけが入ってるなら」というようなヤツ。盲導犬や聴導犬、セラピードッグが最近飛行機の座席下に乗れるようになりましたが、これは本当に素晴らしいことだと思います。同じ飼い主に飼われた犬の中でも、入っていい犬とそうでない犬がいていいんだと思います。

 「特権」や「例外」って、「ズルイ」とか思うかもしれませんが、そういうものがないと文化は育っていかないとも思います。なんでもかんでも例外なしで平等なんてのは社会をかえってダメにする。問題なのは特権の権利の部分だけを振り回すことなわけで、だからこそ特権や例外を大切に育てていく事が大切なのだと思います。
 特権の本質とは、一言で いえば「ノーブルオブリージェ」。義務や高度なルールを実践できた者だけが享受できるもの、あるいは享受できる立場にいる者が課せられる義務や高度なルール。それは社会が生み出す最も美しいシンメトリーです。

 とにかく犬に関しても、そういう例外、あるいは特権が大事にされてれば、「どうしたら自分もその特権に浴することができるか」と考え始めるようになります。その機会こそが平等であるべき。そうやって人間の文化は発展してきたのではないでしょうか。

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