例えば愛犬が自分の仕事場の机の下で、仕事が終わるのを一日中静かに待っています。あるいはオープンカフェでお茶を楽しんでいる時、足元に愛犬が寝そべっています。どこへ行くときも一緒に出歩き、クルマにもひょいと乗って出かけられる・・・。それが僕の犬との生活の理想です。ゴルビーとの生活もこのようなものを目指していました。 このようなスタイルを送るためには、一見、相当に厳しいしつけをし、コマンドがバッチリでなければできないと思われていますが、そんなことはありません。また、○○系の血統の犬でなければ・・・ということもありません。性別 も、訓練が入っているかどうかも関係ありません。 多くの人が、普段、家庭ではほとんど使いもしないコマンドを入れようと必死になっています。これはおそらく「コマンドが効く事がすなわち順位 やしつけ、社会性に直結する 」みたいな話が広く信じられているせいだとは思います。でもはっきり言ってそれほど密接な関係はありません。 僕が見る限り、コマンドはバッチリなのに社会性も序列も守れないトンデモ犬はいくらでもいますし、逆にスワレもできないしシャイでしょうがないのに、会うたびに感動するような名犬も知っています。コマンドにビシっと従うよりも、実生活でお互いに心静かに過ごせる事の方がずっとずっと大事な事なのです。 ゴルビーは去勢していない(7歳で病気治療の一環で去勢)牡のハスキーです。一通 りの服従訓練をプロから受けた経験はありますが、ゴルビー自身がそれらのコマンドを拒否し、お互いに必要性を確認できない限りフセもアトエもしません。そして中でも呼びが効かないという致命的な個性を持つシベリアンハスキーの典型です。ここまで書くと、しつけの本を熟読している人なら「あ、順位 が崩れてる」と思うかもしれません。でも念のために有り体を言えば、彼が拒否したのは純粋に「訓練所で覚えたコマンド」だけで、僕が入れたコマンドは確実にこなすことができます。何度も書きますが、服従命令と主従には密接な関係などないのです。その証拠にゴルビーはどこへでも一緒に出かけられる従順なパートナーでした。クルマに乗せてどこへでも行き、ボートや船やエレベータにも乗り、街の人混みを歩き、人混みの中で、クルマの中で、足元で、何時間でも僕を待つことができました。 それは特別僕がしつけたり教えたというより、僕の生活スタイルに彼が順応してという方が正しいのかもしれません。 カフェのテーブルで「フセ」と言ってもゴルビーはふせたりしません。僕がそこに落ち着けば、ゴルビーもまた落ち着くためにふせるというだけの話なのです。 そりゃ他の犬を見ればちょっとは気を取られます。でもじっと我慢することもできるのです。もちろん「いつのまにか自然にできた」という訳ではありません。かといって特別 なテクニックがあるわけでもないのです。訓練や順位と絆はまた別なものだという事が、ゴルビーとの生活では強く感じました。 |
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